第2回

2013.07.05

働く女性 シンガポール編<2>

●松さんのストーリー

7月5日の朝5時にシンガポールに着きました。

早朝なので、空港内の施設でゆっくりシャワーを浴びて着替えをして…なんて考えていたのに、流れにつられて何となく入国してしまい、結局到着ロビーのトイレで顏を洗い、着替えをし、化粧をする羽目になってしまいました。

一応身支度を整えて、久しぶりのMRT(シンガポールの地下鉄)に乗ってシティーホール駅に近いホテルへと向かいました。

チェックインはできても部屋が使えるようになるのは午後2時ということで、仕方なくシティーホール駅のショッピングセンターへ行き、地下のカフェに入ってコーヒーを飲みながら、11時にユリちゃんがホテルに迎えに来てくれるのを待ちました。駅の周辺には観光ポイントが多いので、時間はあるし、昔を懐かしみながら少し見て回ろうかなとも思ったのですが、そもそも私は観光にあまり力が入らないタイプなので、とりあえず異文化空間に浸ってぼ~っとして過ごしました。でも、私はこの「異文化空間に浸ってぼ~っとして過ごす」時間が旅行中で一番好きなんですけどね。

そしてやっとユリちゃんとご対面。

十数年ぶりでしたが、彼女はまったく変わっていませんでした。

ユリちゃんが運転する車の中で再会を喜び合いながら、早速その日ご紹介いただく3人の女性が待つレストランへ向かいました。

最初にインタビューを受けていただくのは、日系の団体でグラフィックデザイン&パブリケーションマネージャーをされている松(仮名)さんと、その事務局で事務を担当されている枝木詳子さんです。お二人に貴重な休憩時間を割いていただき、お昼を食べながらお二人同時にお話を伺いました。

<松さんのストーリ―>

松さんは30代の女性。シンガポールでグラフィックデザインの仕事に就いて3年が過ぎたところです。

今のお仕事はどんな内容ですか?

ポスターや、イベントチケットのデザイン、レトランのメニューのデザインを主にしています。

海外で働きたいと思うようになったのはいつ頃ですか?

関西で生まれて、高校生の時に阪神淡路大震災を経験したのですが、その時、非常に怖い思いをして「日本にいては私は死んでしまう!脱出だ!」と思ったのが始まりです。その後、美術大学で建築とランドスケープデザインを専攻して卒業しましたが、当時は就職氷河期で、ただでさえ就職先がない中、ましてや建築やランドスケープデザインの知識を活かせる新卒の求人は全くありませんでした。あったとしても経験者に限られていて、建築士2級以上とか造園士1級などの資格を持っていないとだめでした。そんな状況の中で、これはもう本当に海外留学するしかないなと思ったんです。それで卒業後、就職はせず、アルバイトをしながら留学費用を貯めました。

どこへ留学したいと考えられたのですか?

初めはイギリスに行きたいと思っていたのですが、なぜかイギリスへ行くことを考えると不安で仕方がなくなり結局インドへ語学留学することにしました。まずは英語を勉強して、その後デザイン系の会社を見つけてアシスタントから始めてそこでキャリアをつめればいいかなと…若かったのでそんなことを考えて日本を飛び出しました。

インドよりイギリスの方が安全では?

実は、学生時代に一度ゼミ旅行でインドへ行ったことがあって、もう一度行きたいと思っていたんです。ヒンドゥー語も勉強したかったので… それに、知り合いがインドにいて、色々世話をしてもらうこともできたので安心でした。

インドではどんな生活でしたか?

インドは生活環境が厳しくて、ここで生きていくのは難しいなと暮らし始めてすぐに思いました。まず水ですね。ペットボトルの水以外は飲めませんし、歯を磨くのもそれを使います。そして、とにかく暑い!私が住んでいたのは日本人が多くいる、割と高級なエリアだったのですが、部屋に備え付けられたエアコンは入れ物に張った水を扇風機で仰いで風を冷たくして送るようなものでした。それもすぐに電気が止まってしまうのであまり役に立ちませんでしたしね。電気が止まると何時間待っても復旧しないので、毎回冷蔵庫のアイスクリームが完全に溶けてしまうような状態でした。灯りのない夜は真っ暗で、一人で住んでいたので身の危険も感じました。そんな生活を半年ほど続けているうちに早く他へ行こうと考えるようになりました。そこで思いついたのがシンガポールでした。シンガポールにはチャイナタウン、リトルインディア、アラブストリートなど色々な文化があって楽しそうで私好みだったんです。

インドからシンガポールに直接渡ってこられたのですか?

いいえ、一度日本に戻って、事務のアルバイトなどをしながらもう一度お金を貯めました。それからしばらくしてシンガポールに来ました。

シンガポールへはどんなビザで入国されたのですか?

学生ビザで入国しました。学生として英語の勉強をしながら、日系の人材エージェント会社に登録して仕事も探しました。その当時、日本人向けのカスタマーサービスの求人は比較的多くあり、いくつか紹介された仕事の中で、海外旅行保険を扱うフランスの会社の日本人向けカスタマーサービスとして就職できました。

仕事の内容はどんなものだったのですか?

アジアだけでなく、オーストラリアやニュージーランドにいる日本人カスタマーの対応です。日本人のカスタマーには日本語で対応し、提携しているエージェント、医療機関とは英語でやりとりをしました。日本語とかなり上級レベルの英語力を要求される職場で、これが海外で初めて就いた仕事でしたし、アジア全般(ニュージーランド、グアム、オーストラリアも含む)がサービス範囲だったのでかなりしんどい思いをしました。それに全く自分のやりたい内容の仕事ではなかったので、それもものすごいストレスになりました。そんな思いをしながら働くうちに、「やっぱりデザインの仕事がやりたいなぁ」という思いがよみがえってきたんです。

それで転職をされたのですか?

すぐに転職はできませんでした。こちらでデザインの仕事をするにはシンガポールのディプロマやサティフィケイト、経験が必要なんです。それでシンガポールのデザイン系の学校に入ってディプロマを取りました。でも、それでもデザインに関われる現地の就職先はなかなかみつかりませんでした。それで日系エージェントから紹介された現在の日系非営利団体でアシスタント(主にデザインの仕事)の仕事に就くことを決めたんです。最初はここで今のように自分が主体となってデザインの仕事ができるとは思ってなかったんですよ。

これまでにホームシックにかかったことはあますか?

無いですね。日本にいると周りがすべて理解できる日本語なので余計な情報が耳に入ってきますけど、シンガポールは多言語なので周りから、たとえば文句言われてもわかりません。今、HDB(シンガポール版公営団地=日本の団地と違って各部屋にトイレやシャワーがある)にルームシェアして住んでいるのですが、一緒に住んでいる中国人親子は全く英語ができないので、朝、お互いに「ハーイ」とあいさつするくらいのコミュニケーションしかできません。でも、返ってそれが気楽でいいんです。

シンガポールに来て良かったですか?

海外に住んで、今は自分の好きな仕事もできているので本当に楽しいです。それからもう一つ、日本にいるころはかなり重症のアレルギー性鼻炎だったのですが、こちらきてすっかり治りました。そういう意味でもシンガポールが私に合っているのだと思います。

日本にはどのくらいの頻度で帰っていますか?

1年に1度くらいですね。日本に帰る時は親孝行をしようと頑張るのでお金を使ってしまいます。でも心配かけているのでそれくらいはしないとと思っています。

インタビューを終えて
松さんは、色々悩みながらも必ず一歩前に進まれる方で、その姿勢が道を開いて今の幸せにつながっているのだなと感じました。海外で生きていくには当然タフさが必要ですが、松さんの場合は、タフさよりも、その逆の繊細さの方が勝っているような印象でした。これから海外に出ていこうとしている方たちに、松さんに教えていただいた「ただタフなだけではダメ。繊細さも必要」ということと、「色々迷っても、とりあえずやってみないと何も始まらない」ということを伝えたいと思います。そして私自身も松さんを見習って、迷いながらも一歩でも二歩でも前に進めるように頑張ろうと思います。
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